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戸愚呂編を何度か読んでいるうちに、
戸愚呂がどんどん好きになり、今もう大っっ好きです。
「殺されるのを待っていた」戸愚呂。
自ら死ぬこと、戦いをやめ生きることはどちらも逃げでしかなく、
戦いの内で死ぬことが絶対であること。
それは「あしたのジョー」もしくは「燃えよ剣」にも通じるものがあると思う。


「あしたのジョー」では、ジョーは戦いのなかで死んだ力石のため、
自らも戦いで死ぬことを選ぶ。
彼はそうしなくてはならなかったのですね。
死に場所を求めるように戦い続けるジョーは美しくて、
わたしは読む度涙がとまらなくなります。


司馬遼太郎の「燃えよ剣」の土方歳三も、
先に死んでいった隊士たち、自分が殺してきた人々のために、
やはり、戦いのなかで死ななくてはならなかった。
戦いをやめるわけにはいかなかった。
だから負けるとわかっていても出ていった。
誰かが殺してくれるのを待っていた。
そして華々しく散ったのです。


そして戸愚呂です。
弟子を全員、目の前で殺された戸愚呂は鬼となり妖怪を殺しますが、
死んでいった仲間たちのために、立ち直って普通に生きることができなかった。
自分を更に過酷な状況へと追いやることで、償いをしようとしたのです。
だから最後も、一万回の苦痛を選んだ。
それを幻海はわかっていたんですね。

「仲間を殺されること」で強くなった戸愚呂は、幽助の仲間を殺しますが、
致命傷は与えていなかった。やっぱり戸愚呂には殺せなかったんです。
守りたい人を何もできずに殺された戸愚呂は、
甘い幽助に同じ想いを味わわせてやりたいとは思ったんじゃないかな。
危機感がなかったころの甘い自分を見ているようで、腹がたったのかもしれない。
それでもやっぱり、どうしてもできなかったのです。
桑原を殺された幽助は、「自分自身を許せねー」と言い、
戦い終わって、「俺はあいつに何をしてやればいい」と言います。
もし桑原が死んでいたら、悲劇の繰り返しだったかもしれないと思う。
戸愚呂の悲しみが彼らを救ったのです。


戸愚呂のことを想うと、
幻海の、「たいしたもんだよ。あんたのバカも」という言葉が、
どんどんどんどん、身にしみてきます。
魅力にあふれた悪役です。
大好きだぜ。


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自己紹介:
絵を勉強中の20代女。

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