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今日も電車でアニメ。
コエンマ様のエスカレートする解説者ぶりに萌え。
なぜかスラムダンクを思い出した。
(客席でいろんなキャラが解説してたよね、あの漫画。)
あと、ぼたんとジョルジュに「ワシから離れるな!」って言った後、
「ワシは幽助から離れん」って言ったのがかわいすぎでした。
コエンマ様のジジィ言葉、すっごいかわいい・・・!
「うるしゃーい」って言うのもかわいいし。
コエンマ様がとまらない。ああかわいい・・・!(ジタバタ)
そして度の過ぎた黄泉様とよーこちゃんの絡みが衝撃だった・・・。
黄泉様くらまくらま言い過ぎ。おちつけ。
でも幽助に「モテるね・・・」って言う蔵馬は幽助LOVEにしか見えませんでした。
ああわたしの目が腐っているんですね。わかります。
あした黄泉VS幽助見ます。楽しみだ。
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サイト更新しました。
ゆーはくのらくがきと文章。相変わらず仙樹。
わんぴはサーチに登録してみた。
キジロビふえろ。燃料ください。(←)
このらくがきは好きなキャラクターをごった煮。
いいよねー戸愚呂。いいよ戸愚呂。
戸愚呂×幽助いい。「少し強くいくぞ」に胸キュン。
幽助にやさしすぎなんじゃあないかッ!弟よッ・・・!
っていう目で見るようになってしまった私はもう末期。
戸愚呂×鴉もいい。見た目的に妖しくて良い。
弟様がお攻めになっていればそれでいい。(・・・)
戸愚呂×幻海はちょっと別枠。切ないので。
そういえば
レベルE見ました。けっこう美しい画面で素敵でした。
レベルEには特に萌えはないので、健全な目で楽しく見れます。
はう。戸愚呂も描きたいし雷禅、よーこ様とかも描いてみたい。
樹は美しすぎてもうずっと描いていたいし。
絵がうまくなりたい。練習練習!!
戸愚呂編を何度か読んでいるうちに、
戸愚呂がどんどん好きになり、今もう大っっ好きです。
「殺されるのを待っていた」戸愚呂。
自ら死ぬこと、戦いをやめ生きることはどちらも逃げでしかなく、
戦いの内で死ぬことが絶対であること。
それは「あしたのジョー」もしくは「燃えよ剣」にも通じるものがあると思う。
「あしたのジョー」では、ジョーは戦いのなかで死んだ力石のため、
自らも戦いで死ぬことを選ぶ。
彼はそうしなくてはならなかったのですね。
死に場所を求めるように戦い続けるジョーは美しくて、
わたしは読む度涙がとまらなくなります。
司馬遼太郎の「燃えよ剣」の土方歳三も、
先に死んでいった隊士たち、自分が殺してきた人々のために、
やはり、戦いのなかで死ななくてはならなかった。
戦いをやめるわけにはいかなかった。
だから負けるとわかっていても出ていった。
誰かが殺してくれるのを待っていた。
そして華々しく散ったのです。
そして戸愚呂です。
弟子を全員、目の前で殺された戸愚呂は鬼となり妖怪を殺しますが、
死んでいった仲間たちのために、立ち直って普通に生きることができなかった。
自分を更に過酷な状況へと追いやることで、償いをしようとしたのです。
だから最後も、一万回の苦痛を選んだ。
それを幻海はわかっていたんですね。
「仲間を殺されること」で強くなった戸愚呂は、幽助の仲間を殺しますが、
致命傷は与えていなかった。やっぱり戸愚呂には殺せなかったんです。
守りたい人を何もできずに殺された戸愚呂は、
甘い幽助に同じ想いを味わわせてやりたいとは思ったんじゃないかな。
危機感がなかったころの甘い自分を見ているようで、腹がたったのかもしれない。
それでもやっぱり、どうしてもできなかったのです。
桑原を殺された幽助は、「自分自身を許せねー」と言い、
戦い終わって、「俺はあいつに何をしてやればいい」と言います。
もし桑原が死んでいたら、悲劇の繰り返しだったかもしれないと思う。
戸愚呂の悲しみが彼らを救ったのです。
戸愚呂のことを想うと、
幻海の、「たいしたもんだよ。あんたのバカも」という言葉が、
どんどんどんどん、身にしみてきます。
魅力にあふれた悪役です。
大好きだぜ。
戸愚呂がどんどん好きになり、今もう大っっ好きです。
「殺されるのを待っていた」戸愚呂。
自ら死ぬこと、戦いをやめ生きることはどちらも逃げでしかなく、
戦いの内で死ぬことが絶対であること。
それは「あしたのジョー」もしくは「燃えよ剣」にも通じるものがあると思う。
「あしたのジョー」では、ジョーは戦いのなかで死んだ力石のため、
自らも戦いで死ぬことを選ぶ。
彼はそうしなくてはならなかったのですね。
死に場所を求めるように戦い続けるジョーは美しくて、
わたしは読む度涙がとまらなくなります。
司馬遼太郎の「燃えよ剣」の土方歳三も、
先に死んでいった隊士たち、自分が殺してきた人々のために、
やはり、戦いのなかで死ななくてはならなかった。
戦いをやめるわけにはいかなかった。
だから負けるとわかっていても出ていった。
誰かが殺してくれるのを待っていた。
そして華々しく散ったのです。
そして戸愚呂です。
弟子を全員、目の前で殺された戸愚呂は鬼となり妖怪を殺しますが、
死んでいった仲間たちのために、立ち直って普通に生きることができなかった。
自分を更に過酷な状況へと追いやることで、償いをしようとしたのです。
だから最後も、一万回の苦痛を選んだ。
それを幻海はわかっていたんですね。
「仲間を殺されること」で強くなった戸愚呂は、幽助の仲間を殺しますが、
致命傷は与えていなかった。やっぱり戸愚呂には殺せなかったんです。
守りたい人を何もできずに殺された戸愚呂は、
甘い幽助に同じ想いを味わわせてやりたいとは思ったんじゃないかな。
危機感がなかったころの甘い自分を見ているようで、腹がたったのかもしれない。
それでもやっぱり、どうしてもできなかったのです。
桑原を殺された幽助は、「自分自身を許せねー」と言い、
戦い終わって、「俺はあいつに何をしてやればいい」と言います。
もし桑原が死んでいたら、悲劇の繰り返しだったかもしれないと思う。
戸愚呂の悲しみが彼らを救ったのです。
戸愚呂のことを想うと、
幻海の、「たいしたもんだよ。あんたのバカも」という言葉が、
どんどんどんどん、身にしみてきます。
魅力にあふれた悪役です。
大好きだぜ。
レベルEがはじまるまで起きてられるだろうか!
中身はジジィなコエンマ様。
幽助ってコエンマ様のことさんざん「ジジィ」って言ってるんだけど、
この「モテすぎて死ぬ(自称)」成年コエンマ様が
ちゃんとジジィに見えるってことですから、
やっぱり幽助は人の本質を見る目があると思うw
仙水はコエンマのことジジィなんて言わなかっただろう。
単に優等生だというのもあるけど。
昔の仙水って至極マジメで素直で、言うこと聞きそうだし、
なんとなく品格もありそうだし、強いしっていうので、
コエンマ様も気に入って、かわいがっていただろうけど、
失踪なんかされちゃったもんだから。
次は思いつめそうにない、いーかげんな子!っていうのは正に納得。
幽助ってめんどくさがりで、いい加減で、深く考えないのだけども、
瞬発力があって、素直な感情で動いて、何があってもなんとかしちゃう。
うーんうまく言えないのだけど、幽助の性格がほんとーに好きです。
幻海・くわちゃん・雷禅とかもほんとーにいい性格してます。
さらっと、くどくなく、すごくいいことを言うのね。自然というか。
好きだなぁ。雷禅なんかいいな。さすが幽助のオヤジ。
仙水・樹・戸愚呂・コエンマとかは愛の部類なのね。
なんか、ばかだなぁ、って愛してしまう感じなのだね。
簡単にわけるなら彼らは「暗い」んだなw でも愛しちゃう。